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「結目とはなにか、について今日は話をしようと思うんだ。なんだと思う?」

 

キャスターは注目のままに所長に視線を向けた。さっさと話せばいいものを、しばしの沈黙の後許可を取ってから彼は話を始める。そんなところが扱いづらいと、キャスターはため息をついても、ただ黙ってそっちを見ていた。

 

「結目っていうのは、人の手が加わらないとダメなんだよ。だってさあ君、靴紐は勝手に結ばれないでしょう?ほとんどの場合さ」

「まあな」

「でも、勝手にはほどけるんだ。それがたまに、堅結びになったりしてたらさ、それは面倒じゃない?脱ぎにくいし、結び直すには一回ほどく苦労が生まれる。変な癖がつくかもね」

「運命っていうのは一本線だと?」

「違うよ、過去は常に一本なんだ。未来は無限に枝分かれしているんだけどね」

「何が見えてるんだか」

 

まるで子供のように、得意げに話すさまはとても子持ちとは思えない。キャスターは、この人間の子供はさぞ苦労しただろうと呆れかえり、手元に置いていたコーヒーに口をつけた。所長は全く気に留めない様子で続きを話している。

 

「それで、結目をほどかないとさ。うーん、時間は水のように運命の中を流れる、そんなイメージかな。結ばれたら滞って、いつか破裂しちゃうでしょ?だからほどかなきゃいけないんだよ。自力でどうにもできなくなったのがリストに上がったところ、ってわけ。」

「なるほどな、わかったよ。それで?そんな話をなんで今僕に?」

「え?今度みんなに話す練習~」

「はあ」

 

そのまま紙の資料をトントンと纏めると所長はキャスターの目の前にチョコレート菓子を一つ置いて部屋から出て行ってしまう。その背中をみて、相変わらずだと眉間にしわが寄った。

 

所長とキャスターの出会いは大分昔までさかのぼる。聖杯戦争に勝利した所長は、キャスターという便利な道具を欲した。彼としては大切にしているつもりらしいのだが、キャスターは全くその恩恵を受けているとは感じていなかった。端的に言うと、一方通行でキャスターは所長のことが嫌いだった。

 

しかし、キャスターも所長のしようとしていることに賛同した。故に因果監視鏡というものを作り出した。所長の魔眼とこの監視鏡によってこの組織は成り立っている。クロシスとは、この二人に重度に依存した組織なのである。

 

「あ゛~~~ッッッ!?!?な゛ん゛ですかその゛話聞い゛て無い゛です!!」

「だって今はじめて言ったじゃーん」

 

廊下に響き渡った声はすぐそばで向かい合っていた所長に向けられているものだった。ここは東京都某所、少なくとも23区ではない山の中。自然あふれるこの地にクロシス因果監視機関は存在した。

そして今己の大声でせき込んでいるのが永森海、Bチーム観測班の一人だった。

 

「それを!?時給1500円で……」

「じゃあ時給2000円出すよ」

「ご、……500円で命の危険……」

「揺らいでるじゃん?」

「揺らいでないッッ!!……なんでまたサーヴァントなんか。うちに聖杯なんてあるんです?」

「あるよ」

「うぇええぇぇえ!?!」

「いや声でっかいって」

 

観測していた因果の律圧に異常が生じたと初めて観測したのは今から四か月ほど前で、激務になるからと時給が200円上がったばかりだった。この因果の狂いを何とかしようと今の今まで頑張ってきたのだが、それがどうにも治らない。そうして浮き彫りになった己たちの敵という存在、そしてその相手方のサーヴァント所有という大きな問題に頭を悩ませた所長は己の目的に適う人員を選別していたのだ。

 

して、その所長と呼ばれている男は内外から集めた人員に、まるで金を払えばいいだろうといわんばかりの態度で言い放ったのだ。サーヴァント連れで因果修復のための時間旅行をしろと。

 

「現地調査って!最初は現地調査って!!」

「現地現地って、もう無くなってる現地もあるし、入れないところもあるし。っていうか、やらないの?」

「あの!私は……ただお金が欲しいってわけじゃ……」

「君たちは死なせないよ、守るからね。」

「所長………」

「まあ絶対避けられない死ってあるからその時はメンゴ!」

「メンゴじゃないわ!!!」

 

避けられない死を迎えた様々な場所も、全ては今に一本の線でつながる過去であった。そうでなければ未来が保障されないのだから。そんな未来を守るために過去を見続ける人が所長だ。

 

「でも出来る限り守るよ。君たちの命を拾い続ける。それに君は選ばれたんだよ?名誉じゃないか……」

「うう……そういわれたらなんだか、そんな気がしてきたような……」

「とにかくやってくおくれよ。ね?」

「うーん……所長がこんなにご機嫌取ってくるってことは、そうとう、なんですよね?」

「…………そりゃあ、ね。真面目にしてないといけなくなるくらい。」

「……」

「それに一日四万円ももらえるんだよ!」

「うああそれは……!くう、……。」

「じゃあ準備よろしく。文句があるなら二発くらいなら殴ってもいいよ。」

「誤解しないでくださいね!お金だけじゃないですから!未来のため!」

「いいって。君みたいな子は本当に使いやす……。君はいいこだなあ!さ!じゃあね!」

 

所長という人は、なんとも人の命を軽視して、何でも金で解決して、大切なものなんてこの世にはないような顔をして生きている男だ。蛆の湧く齢60を超えてなお、見た目は20代の永森とそこまで離れていないように思える。この施設は彼が高校を卒業した時に興したもので、それからずっと彼はここに従事している。ほぼ休みなく。帰宅することもなく、いつも施設のどこかにいた。

 

「……女の子って理解しがたいな」

「お前に理解される森永さんがかわいそうだろ。」

「やあ、キャスター。どう?」

「随時肥大している、あの結目の中でどんどん正史からずれた歴史が作られてるだろうよ」

「いやはや。改善できなくなる前に何とかしないとね」

 

赤渕眼鏡の奥の瞳が、別の世界を見ていた。遠く遠くまで重く積みあがったそれが、黒く腐っていくのを視た。緻密に積まれていたそれがばらばらと崩れていくのが、足元にごろりと転がったそれが静かに消えていくのを珍しく笑みを消して見ていた。

 

「もし、変えたい過去が変えられんなら、お前はどうする?」

「僕?うーん、そうだね。生まれてきたくないかな。」

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